数年前、筆者は社内の勉強会で、手元にあった業界地図のページをそのまま投影して説明したことがある。前の版だった。参加者の一人が最新版の同じ業界のページを静かに隣へ並べると、企業の並びと矢印の向きがいくつか違っていた。筆者が話していたのは、その時点の業界ではなく、数年前に誰かが整理した業界だった。恥ずかしさの中身は、内容の誤りそのものよりも、版を確かめないまま引用したという手続きの甘さにあった。以来、新しい版が出る時期と、自分が何のためにその一冊を開くのかを、買う前に確認する順番に変えている。
2027年版は、いつ出て、何のために開くのか
2027年版の刊行時期は2026年の8月である。『会社四季報 業界地図』の2027年版は2026年8月22日発売、税込2,200円、336ページと案内されている。『日経業界地図』の2027年版は、政府刊行物の商品情報では発行日が2026年8月10日、販売サイトの商品情報では発売日が2026年8月17日と表示されている。発行日と、販売サイトが示す発売日は性質の違う情報なので、筆者はメモの行を分けて書き写す。毎年改訂されることを前提にすれば、後から引用するときに必要なのは「2027年版」という版の表記であって、自分が買った日付ではない。
第一に決めるのは用途である。業界数の多い一冊を取れば足りるという話ではなく、自分が調べたいテーマ、地域、企業どうしの関係が収録されているかどうかが先に来る。ニュースの背景を押さえたいのか、業界と企業を広く見渡したいのか、株式を比べる材料も欲しいのか。この問いに答えが出ていないうちは、どちらを開いても同じページを漫然とめくることになる。
地図が描いているのは、企業と企業の関係である
業界地図という資料は、業界と主要企業、企業間の提携関係、業界規模などを視覚的に整理し、全体像をつかむための本として説明されている。つまり紙面の主役は個々の企業の評価ではなく、企業と企業をつなぐ線の方だ。『日経業界地図』の2027年版は、業界の基礎知識・最近の動向・年表・キーワードに加え、企業の成長戦略や提携・出資関係を載せると案内されている。
価値連鎖を縦にたどりたいときに効くのは、この線をまとめた横断の企画である。同書の2027年版では、半導体の製造工程と関連企業、石油の供給網、スタートアップ、国土強靱化といったテーマを業界をまたいで扱うと紹介されている。設計から装置、素材、組み立てへと役割が分かれている産業では、一社のページを読むより、工程の順に企業が並んだ一枚を見た方が関係の形が早くつかめる。図の箱と矢印を自分の手で描き直す段階に入るなら、売上高をセグメントに割り戻してビジネスモデルを図解する手順と組み合わせると、線の意味が具体化する。
お金の流れを、どの粒度で載せているか
第二に見るのは、関係の図に添えられた数字の粒度だ。『日経業界地図』は売上・営業利益の増減をアイコンで示し、業界規模のグラフを載せると説明されている。方向と大きさの見当をつける作りである。
『会社四季報 業界地図』の2027年版は、約60業界の10年間の天気予想、業界平均の利益率・時価総額・平均年収、さらに主要企業1000社超の時価総額・株価騰落率・配当利回りを収録すると案内されている。業界の水準と企業の市場評価が数字で並ぶため、株式の比較材料を同じ本の中で済ませたい場合の候補になる。増減の向きが欲しいのか、水準の値が欲しいのか。この違いは、同じ2,200円の中で紙面がどこに割かれているかの違いでもある。
公開情報を並べて比べる
| 項目 | 会社四季報 業界地図 2027年版 | 日経業界地図 2027年版 |
|---|---|---|
| 刊行時期の表示 | 2026年8月22日発売 | 発行日2026年8月10日/販売サイトの発売日表示2026年8月17日 |
| 価格(税込) | 2,200円 | 2,200円 |
| ページ数 | 336ページ | 320ページ(販売サイト表示。別の商品情報では318ページ) |
| 掲載範囲の表示 | 193業界・4110社 | 205業界・4950企業/団体 |
| 新規・深掘り分野 | ロボット(フィジカルAI)、エネルギー地政学、ファクトリーオートメーション、住宅ローン、電炉、後発薬、韓国・台湾 | 半導体の製造工程、石油の供給網、スタートアップ、国土強靱化などの業界横断特集 |
| 数字の見せ方 | 約60業界の10年天気予想、業界平均利益率・時価総額・平均年収、主要企業1000社超の時価総額・株価騰落率・配当利回り | 売上・営業利益の増減、業界規模グラフ、基礎知識・動向・年表・キーワード |
出典:東洋経済STORE、東洋経済新報社の刊行発表、紀伊國屋書店、タワーレコード、全国官報販売協同組合の各商品情報・発表。日経版のページ数はタワーレコードと全国官報販売協同組合の表示で異なる。
この表で注意したいのは、業界数と社数が同じ尺度の数字ではないことだ。一方は「社」、他方は「企業/団体」と表記されており、何を一件として数えるかの定義が書籍ごとに違う。業界の区切り方も各社の編集方針による。数の大小で網羅性や優劣を断定するのは無理があり、比べるなら自分が調べるテーマの目次と、そのページに載っている情報の種類を見るのが筋だと筆者は考えている。
選ぶ基準は、目次の側にある
用途を三つに分けて、確かめる場所を決めておくと迷いが減る。ニュースの背景や業界をまたぐ仕組みを知りたいなら、見るのは横断特集の見出しである。業界と企業をできるだけ広く見渡したいなら、掲載範囲と目次の大分類を見る。株式の比較材料も同じ一冊で欲しいなら、投資関連データの項目を見る。
地域で選ぶ道もある。『会社四季報 業界地図』の2027年版は、韓国・台湾を新規に掲載し、日本の47都道府県や米国・中国・欧州・インドの動向を扱うと案内されている。自動車や素材のように海外の工程と国内の工程がつながっている業界を追うなら、この地域面が判断材料になる。業界の輪郭をどこで引くか自体に迷いがあるなら、業界研究で範囲を引き、情報収集の順番を決める手順を先に通した方が、目次の読み方も定まる。
版が変わる理由と、変わった後の確認手順
新規掲載分野の入れ替わりは、それ自体が産業側の変化の記録である。ロボットやエネルギー地政学、ファクトリーオートメーションが新規掲載分野に選ばれたことからは、編集上の注目領域が変化していることが読み取れる。逆に言えば、版が替わると線は引き直される。筆者が勉強会でつまずいたのは、この引き直しを前提に置いていなかったせいだった。
地図で見当をつけた関係は、一次資料で裏返す。金融庁のEDINETは有価証券報告書などの開示書類を電子的に提出・公衆縦覧する仕組みで、発行者の財務内容や事業内容を正確・公平・適時に開示することを目的としている。筆者はEDINETで目的の会社の有価証券報告書などを閲覧し、事業内容や財務情報を図に描かれていた関係と照合する。図の矢印が太く見えても、現金の流れや収益の行き先が確定したわけではない。
アナリストとして一つだけ観察を書き添えるなら、業界地図が効き始めるのはページを眺めている間ではなく、そこに引かれた一本の線を疑って開示書類を開いた瞬間である。線は仮説であって結論ではない。版の表記を書き写し、その線がどの書類で裏づくのかを一つずつ当てていく作業に入れたとき、2,200円の一冊は読み物から道具に変わる。