休日に地図を広げてサプライチェーンをたどるのが筆者の習慣だが、地図を開いてまず目が行くのは縮尺と凡例である。一枚にどこまでの範囲を収めているのか、線の太さや色が何を表すのか。この二つを確かめないまま歩き出すと、隣町のつもりで越えた先が別の県だったりする。業界研究のやり方でつまずくときも、理由はだいたい同じだった。範囲と記号を決める前に、個別の会社の数字を読み始めてしまうのである。
筆者が最初に見落としていたもの
総合商社で産業調査を十二年担当し、その後コンサルティング会社でアナリストとして自動車・小売・素材を見てきたが、最初の数年の業界研究は、書店で業界地図を買い、気になる会社の利益率を並べ替えるだけの作業だった。それでも表は埋まる。埋まった表を眺めると、分かった気になる。
二つの失敗で、その錯覚は崩れた。一つは、古い版の業界地図をそのまま引用して人前で恥をかいたことである。地図の版は、そのまま情報の時点だった。もう一つは、ある企業の利益率の高さだけを根拠に推奨してしまい、営業キャッシュフローの悪化を見落としたことである。切り取った一つの指標は、その会社が業界のどこに立っているかを説明してくれない。
振り返れば、どちらも同じ欠落だった。比べる土台、つまりいつの時点か、どこまでを同じ業界とみなすか、指標の定義は各社で一致しているか。それを決める前に比較を始めていたのである。以下は、その順番を組み直したあとの手順だ。
業界の輪郭は、公的な分類で引いてみる
関心はたいてい生活の言葉で始まる。「半導体」「ドラッグストア」「物流」。この言葉のままでは、範囲が人によって伸び縮みする。そこで筆者は最初に、統計の側がどこに線を引いているかを確認する。総務省の日本標準産業分類は、統計調査で産業を表示するための技術的基準として定められたもので、最新版は令和5年7月告示の第14回改定である。個別の行政上の処分に用いるものではない、という注記も添えられている。
この改定版では、産業の大分類がAからTまでの20区分に整理されている。政府統計の総合窓口では、分類項目名・説明・内容例示・反例をキーワードや分類コードから引ける。やることは単純で、自分の関心語を検索窓に入れ、どの分類に収まり、何が内容例示に挙がり、何が反例として外されているかを読む。役に立つのは反例のほうだ。「これは入らない」と書かれている側に、自分の思い込みの縁が見えるからである。
ただし分類は統計のための枠であって、会社が自分で名乗る事業領域とは一致しない。分類は輪郭を引くための道具、会社の言葉は中身を知るための材料、と役割を分けて扱っている。
情報収集は、一次資料へ順に降りる
輪郭が引けたら、会社の側へ降りる。筆者が年間二百社分の有価証券報告書を読む場所は、金融庁のEDINETである。金融商品取引法に基づく電子開示システムで、有価証券報告書や有価証券届出書、大量保有報告書などが対象書類に含まれ、定期保守などの計画停止期間を除いて24時間365日稼働している。夜に一社ずつ読み進められるのは、この稼働時間のおかげだ。
検索は二つの入口を使い分ける。書類検索の「書類詳細検索」は、提出者名または証券コード、書類種別(有価証券報告書・半期報告書・四半期報告書・大量保有報告書など)、提出期間(当日・過去3日・過去1週間・過去1か月など)で絞り込む。「書類全文検索」はキーワードで探し、目次の範囲を指定した検索もできる。手順にすると、次の順で動かしている。
- 関心のある会社の証券コードを書類詳細検索に入力し、書類種別を有価証券報告書に絞って、直近の一本を開く。
- 「事業の内容」と「セグメント情報」を読み、事業の区分とその名前を書き写す。会社が自分の事業をどう切っているかは、ここで決まる。
- 書き写した区分名や、原材料・部品・装置の名前を書類全文検索に入れ、同じ語を使っている他社の候補を集める。集まった各社の『事業の内容』を読み、価値連鎖上のどこに位置するか、取引関係があるかどうかを確かめる。
- 集まった会社を、先に確認した分類の区分ごとに並べ、どの区分が薄いかを見る。空いている場所が、次に調べる相手になる。
書類の中で数字をどう追うかは、これとは別の作業だ。損益計算書・貸借対照表・キャッシュフロー計算書の三枚をどう重ねるかは決算書の読み方で工場の一年に沿ってたどったので、ここでは繰り返さない。
比較の視点:そろえるものを先に決める
第一にそろえるのは時点である。決算期がずれる会社を並べるなら、同じ暦の期間に切り直すか、期の違いを表に明記する。次にそろえるのは範囲だ。セグメントの切り方は会社ごとに違うので、全社合計と特定セグメントの数字を同じ列に混ぜない。三つ目は定義である。同じ「営業利益」という名前でも、どこまでを販管費に入れるかは各社の説明を読まないと分からない。
| そろえる対象 | 具体的な作業 | 崩れたときに起きること |
|---|---|---|
| 時点 | 決算期と書類の提出期間を確認し、同じ期間に切り直す | 好況期と不況期の数字が並び、順位が入れ替わる |
| 範囲 | 全社合計かセグメントか、どちらの数字かを列ごとに固定する | 事業の一部と会社全体を比べ、規模を読み違える |
| 定義 | 指標の内訳を各社の説明で確かめ、注記の差を書き添える | 同じ名前の指標が別の中身を指し、差が実態に見える |
そろえたうえで何を見るか。筆者は、売上をどこから来たかで割り、費用を何に使ったかで割り、残った現金がどこへ向かったかを追う、という三段で足りることが多い。率だけを横に並べた表は、見た目が整うほど危ないと考えている。
例:同じ問いで二社を並べる
仮想の数字で手順だけ示す。素材メーカーA社の売上高1,200億円・営業利益60億円、小売B社の売上高3,200億円・営業利益96億円とすると、営業利益率はA社が5.0%、B社が3.0%になる。
ここで率の大小を優劣に読み替えると、筆者が過去にやった失敗の入口に戻る。素材メーカーでは在庫や売掛金などの運転資金に現金が滞留している可能性があり、小売では仕入・販売・支払条件によって現金が先に入る場合もある。実際の構造は、貸借対照表、キャッシュフロー計算書、セグメント情報、関連注記を照合して確かめる。率そのものの計算と業種ごとの水準の差は営業利益率の計算で扱った。
比較の目的は順位をつけることではなく、なぜ差が出るのかという問いを一つ作ることだ。「この差は、原価か、販管費か、回転か」まで絞れたら、次に開く書類とページが決まる。そこまで来れば、業界研究は表を埋める作業ではなくなっている。
凡例に書ける記号が増えた日
やり方を短くたたむと、範囲を公的な分類で引き、一次資料で会社の区分を書き写し、時点と範囲と定義をそろえてから比べる、という順番になる。地図は歩いた区間だけ線が濃くなり、歩いていない場所は空白のまま残る。その空白を隠さずに置いておけるかどうかが、使える地図と古い地図の違いだと筆者は思っている。凡例に自分の言葉で書ける記号が一つ増えたとき、次に濃くしたい区間はどこになるだろうか。